色々追い詰められて、心身ともに崩れた話【回復への道のり編】
前回のおさらい
2018年の秋、私は仕事の多忙、恋人からの別れ話から心身ともに崩れました。もともとあった喘息の病状と併合して、呼吸困難になりパニック障害のようになりました。
前回の話が、8月~10月頃の話になります。今回は11月~12月のお話をします。
仕事
10月末に3つめのプロジェクトが終わりひと段落しました。しかしそれまで張っていた緊張の糸がプツン…と切れてしまったのです。
なぜなら仕事の忙しさのおかげで、ネガティブなことを考える余地がなかったからです。しかし時差攻撃で「彼からフラれたショック」が襲い掛かってきました。残念ながらこの時期の仕事の記憶はほとんどありません。
正常な状態でないことは明らかで、いつ自分が倒れてもおかしくない状況でした。仕事に支障をきたすと思い、上司3人に相談しました。
後日談ですが、ほかの職員には「しばらく休むかもしれない」と連絡があったそうです。精神的なものだったので、上司もオブラートに包んでくれました。
病院への受診
メンタルクリニックへ
「このままではやばい」 と思い、職場近くのメンタルクリニックへ連絡しました。そこは完全予約制のため、初診の場合も連絡が必要になります。か細い声で連絡したのを覚えています。治療としては、カウンセリングと薬物療法になります。この頃は週1回のペースで通院していました。
そして薬は症状が軽くなるにつれ減っていきました。
12月第1週まで
・セルトラリン錠25㎎
・ロフラゼプ酸エチル錠1㎎
・クロチアゼパム錠5㎎(不安時)
第2週以降
・セルトラリン錠25㎎
・ロフラゼプ酸エチル錠1㎎ 0.5錠
ロフラゼプ酸エチル錠1㎎ 0.5錠 になったのは、日中に強い眠気に襲われたからです。医者に聞くと「それは症状が良くなっている証拠だ。正常の人が飲むと眠くなってしまう」とのことでした。それは私にとっての小さな希望の光でした。
レディースクリニックでの出来事
この頃は、月経時にもメンタルのアップダウンが激しかったので、かかりつけのレディースクリニックへ行きました。涙は出るし、吐き気、喘息のため咳が止まらず息ができない…などの激しい症状だったのですぐに向かいました。
待合室にいると、受付の人が声をかけてくれました。「先生から、涙が止まらないとき、何を考えているのかこの紙に書いてください」と言われました。涙と嗚咽と闘いながら殴り書きのように書いていきました。
診察室に入ると、先生からの第一声が
「まず、あなたが来る病院はここじゃない」
全ての救いを求めてやってきたので、あっけにとられてしまいました。
先生は、私の殴り書きメモからメンタルやストレスからくる症状だといわれました。なので私の場合、症状が出たとき
2.呼吸器科内科
3.レディースクリニック
の順番で病院に行けとのこと。
「うちの病院に来るときは、生理不順とかの時に来なさい」と言われました。肝っ玉母さんみたいな先生から優しく返されました。不安でしたが、少し救われた気持ちにもなりました。なぜなら、自分自身が「なぜこんなに気分が下がり、体調が悪くなるのか」と原因に苦しんでいたからです。
私は「ちがった~…」と泣きながら帰りました。
今思うと、ちょっとおもろいです。
人間関係
家族
2018年当時は実家暮らしをしており、職場へは電車通勤でした。この頃は、仕事終わりに家に帰ろうとすると、吐き気を催し、一歩も動けない状況が続いていました。そんな時は父親に迎えに来てもらっていました。
しかし、父親からみると私の症状は甘えや、堕落、心が弱いからなど非難を受けました。全く理解してくれなかったのです。
帰宅後、ショックのあまり母親に泣きついたのを今も覚えています。アラサーが子どものように母親に泣きつきました。
間違ってもメンタルが落ちているときに正論?を言って追い詰めてはいけない、と身をもって体験しました。
母親は、食事やメンタル、体調など本当に気遣ってくれました。
ただ、横にいてくれるだけで本当に心強かったです。
友人
この頃、高校時代の友人に2,3日おきに会って、泣いて…を繰り返していました。私が恋人からフラれたときも「死にたい…」と泣きながら電話しました。するとデート中にも関らず友人は飛んできてくれました。
私は、デートを邪魔してしまった!と泣きながら「ごめん、本当にごめん…!」と謝りました。友人は大丈夫と答え、食欲が減ってやせた私の手を取りながら
友人「こんなに細くなって……、いや、私が太っただけかwwww」とその場を笑って励ましてくれました。(マジ好き)
まとめ
長くなりそうなので、今回は一旦ここまでにします。次回は「転機編」を紹介します。
今回、ブログを書くにあたって、この頃の記憶はほとんどありません。(2年前ということもあると思いますが…)前回同様、自分の健康記録帳やメモ帳を頼りに記憶を思い返しています。
それでは、以上!
上杉リベロでした!