【聖地巡礼】上杉・直江の故郷、米沢について③
前回は、上杉神社のお話をしました。今回は、衝撃の真実が明らかになる、米沢織体験編を紹介します。
染織工房わくわく館
私は、上杉神社を訪れた翌日、米沢市内の体験工房「染織工房わくわく館」に生きました。米沢は米沢織という織物が有名で、かつ山形と言えば紅花染です。
紅花染を知ったのは、宮崎駿の映画「おもひでぽろぽろ」でした。作中で描かれていた紅花の収穫作業を見て、幼いながらも興味を惹かれた記憶があります。(工房のスタッフの方からも、この描写は本当に丁寧に正確に描かれている、と言ってました。)
私は、なぜか「織・染・紙漉き」などに昔から興味があったのです。
染織工房わくわく館HP↓
https://www.wakuwakukan.co.jp/
米沢織体験
昔、大学時代の課外授業で染色体験を経験したので、今回織体験をしました。作るものは、複数あるコースから選ぶことができます。私は、10㎝角のコースターを作るコースを選びました。
はた織機を使うのも初めてです。しかし、スタッフの方が丁寧に指導してくれるので初めての方にも安心して体験できます。
好きな色の糸を選び作ります。私は、紅花染の糸を選びました。
手足がおぼつかないww
縦糸に対して、横糸を通していきます。横糸を通して櫛のようなもので、糸を整えます。次に足のペダルで上糸・下糸を交差させます。これでひと通りの工程です。
私は、どうしても足のペダルを忘れてしまい、織り始めは苦労しました。慣れたころには、もう完成間近でした。(もっと大きい、テーブルマットを作るコースとかにすればよかった~…)
衝撃!米沢と直江兼続
織りをしながら、スタッフのお姉さんと話をしました。
お姉さん「なぜ、米沢に?」
私「あ、直江兼続のファンで…」
ここでスタッフのお姉さんから、ある新事実が明らかになります。
お姉さん「実はね、直江兼続って米沢では、あまり好かれていないのよ」
な、んだと…
よくよく話を聞いてみて、理由は大きく分けて2つあることが分かりました。
米沢15万石
上杉謙信の死後、上杉家は越後から会津へ藩を移動しました。その時、会津120万石という石高を持っていました。しかし関ケ原合戦の後、上杉家は会津120万石から米沢15万石へ減らされました。
そのため、苦しい生活を強いられたようです。その苦しい生活をさせたのは、上杉景勝の参謀である直江兼続だ、と思われている人が多いそうです。
義と愛は上杉のため
直江兼続と言えば、「義」と「愛」の人。私はずっとそのイメージがあり、それは民に向けたものだと思っていました。
しかし、この「義」と「愛」は上杉家に向けられたものだったそうです。つまり、上杉家存続のためならどんな犠牲も問わないという人物だったそうです。
まとめ
米沢の人にとっては、直江兼続より上杉鷹山の方が人気のようです。それは、貧しい藩を立て直すために改革をしたのが、鷹山だったのです。そのため、「今の米沢が「あるのは鷹山先生のおかげ」と慕われているそうです。
本やネットだけでは、知ることのなかった情報を得ることができ、とても興味深かったです。
そして、自分で作った米沢織コースターは今でも大事に使っています♪とても良い体験ができました
次回は、上杉家御廟所と林泉寺編です。
では、以上!
上杉リベロでした!
*1:米沢藩上杉家廟所HPより http://uesugigobyo.com/uesugi/