上杉リベロのココロCoCoブログ

社会の「小さな声」を届けたい。LGBTQやメンタル、喘息などをテーマにエッセイを描いています。

今までと違った敬老の日

  2020年9月21日は、敬老の日でした。私にとって今年の敬老の日は今までと違ったものになりました。

 それは、祖父のいない敬老の日だったからです。

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祖父と敬老の日

ここでいう祖父は、父方の祖父になります。今年の7月に90歳の人生に幕を閉じました。

 私は、2020年の3月まで実家で過ごしていました。実家には、祖父と両親と私の4人で住んでいました。

 

 祖父は毎年、敬老の日になると地域のコミュニティセンターでプレゼントを受け取っていました。プレゼントの中には大好きな和菓子がありおいしそうに食べている祖父の姿がありました。

今年の敬老の日

 今年の敬老の日は、県内に住んでいる母方の祖父母に会いに行きました。二人に会うのは、おそらく正月以来だと思います。その後コロナが流行したため、会うことはありませんでした。

 

 久しぶりに会った祖父母と短い間ですが話をすることができました。一緒に昼食もとったので、「このスープおいしいね」「おなかいっぱいになったね」などの他愛ない話をしました。

 

 父方の祖父を亡くして、より一層祖父母を労わろう、と思いました。

 

祖父の残したものたち

母方の祖父母の家に行った後、実家に一旦戻りました。

畑には、祖父が育てた植物や、使われていた道具が残されています。いきものを大事にしていた祖父。和菓子やサイダーが大好きだった祖父。

 リビングの定位置のソファー、夕方になると日陰のブロックに腰かける姿…。

 剪定がされず、少し伸びた庭の木や松…。

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 父が少しずつ整理をしていますが、実家には、まだまだ祖父の生きた証が残されています。

 

 それらを心に刻みながら過ごした敬老の日でした。

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2017年、親戚の結婚式のホテルにて。

バルコニーのハトに手を差し伸べる祖父

 

 

まとめ

 「いつまでもあると思うな親と金」

今年の敬老の日を過ごして、「ああ、親だけじゃないなあ」とつくづく思いました。そして人と人とのご縁や繋がりなど、普段見失いがちなことに気づかせてくれる日になりました。

時間とは有限で、生命は必ず限りがある…。

 

祖父という一人の人間の人生に触れて、改めて、「自分はどんな人生にしたいか」を考えようと決意しました。

 

 

では、以上!

上杉リベロでした!